集団的自衛権の本質とは何か。また、集団的自衛権をめぐる日本にとっての今後の課題は何か。今回は、そのことを考えてみようと思います。集団的自衛権の歴史は、今から約百年前の第一次世界大戦後に遡ります。多数の軍人だけでなく多数の民間人も犠牲になったこの世界大戦の反省から、1919年に国際連盟(League of Nations)いう国際組織が創設され、国際連盟規約が調印されました。その国際連盟規約において、「集団安全保障」(collective security)という理念が生まれました。集団安全保障とは、ある国家が不当に平和を破壊した場合に、その国家に対して他の国々が協力して集団で制裁を行う国際的な安全保障体制のことです。この理念は、現在の国際連合憲章にまで引き継がれています。その後、さらに過酷な戦争が起こってしまいました。第二次世界大戦です。第二次世界大戦後の1945年に国際連合(United Nations)が創設され、国際連合憲章(国連憲章)が署名され発効しました。国連憲章においては集団安全保障の理念は引き継がれながら、第二条第四項において「戦争の違法化」が定められました。つまり、戦争は”やってはいけない行為である”と認められるに至ったのです。しかし、上記の「集団安全保障」という制度を機能させるためには国連の安全保障理事会が機能しなくてはなりません。第一次世界大戦後の国際連盟規約では最高決定機関は総会であり、また総会では全会一致を原則としていた為、実行力のある軍をつくりあげることが出来ませんでした。その反省に立ち、第二次世界大戦後に設立された国際連合においては、安全保障理事会(安保理)という機関が置かれ、安保理には平和を維持するための強大な権限が与えられました。安保理の中でも、常任理事国と呼ばれる五か国(=アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国)は特に強力な「拒否権」という権限を持っており、その五か国のうちいずれか一か国でも拒否権を行使すれば、安保理の合意は成立しないという仕組みになっているのです。そのため、集団安全保障が実際に機能した例、つまり正規の「国連軍」(ただし、実際にはアメリカ軍司令官の統一指揮下にあった)が組織された例は、1950年に起こった朝鮮戦争のみであると言うことができます。1956年のスエズ戦争や1960年のコンゴ動乱の際に派遣された軍隊は実際には国連軍ではなく、国連平和維持活動(PKO)の一部である国連平和維持軍(PKF)だったのです。つまり、以上に述べてきた集団安全保障の理念は当初構想されていたようなかたちでは実行されてこなかった、と言えるのです。しかし、容易に予想できるように、世界に存在するのは平和を望む国々ばかりであるとは限りません。時には、今まで平穏な状態を保ってきた国家の平和と安全を不当に破壊しに来る国家が急に現れるかもしれないのです。そのような事態になってしまった後に、集団安全保障体制が機能しないことに気がついても間に合いません。そこで各国は、自らを守るために「自衛」(=他国による侵害から自国又は他国を守るために、必要な武力行為を行うこと)を行う必要が出てくるのです。国連憲章第五十一条は、国家の固有の権利としての「自衛権」を認めた条文であるといわれています。同条は、次のように規定しています。「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」つまり、「戦争は違法であるが、自衛権は国家の固有の権利として認められる」という各国家の共通理解が国連憲章には表されているといえます。以上、これまで集団安全保障および自衛権の歴史をごく簡単に振り返ってまいりました。すでに述べたように、国連憲章第五十一条は国家の固有の権利としての「自衛権」を明記した条文です。しかし、国連憲章第五十一条をもう少し細かく見ると、そこには「個別的又は集団的自衛の固有の権利」とあります。ただ単に「自衛権」と書くのではなく、上記のように書かれたのはなぜでしょうか。ここで、「個別的自衛権」と「集団的自衛権」という二つの言葉が出てきます。個別的自衛権とは、「ある国家が他国から武力攻撃を受けた場合に、自国を防衛するために武力を行使して反撃する権利」のことを言います。対して集団的自衛権とは、「自国と密接な関係にある他国が武力攻撃を受けた場合に、その国と共同でその武力攻撃に対処する権利」のことを言います。両者の相違点は、前者が、自国への攻撃に単独で対処するのに対し、後者は他国への攻撃を自国への攻撃と同じであるとみなして、共同で対処するところです。先にみたように、国連憲章第五十一条においては個別的自衛権と集団的自衛権の二種類の権利が認められています。つまり国連憲章によれば、いかなる国家も、他国から直接に武力攻撃を受けた時に、または自国と密接な関係にある他国が攻撃を受けた時に、反撃することが認められているのです。さて日本においては、集団的自衛権をめぐって数々の議論がなされてきました。なぜ日本では、集団的自衛権がこれだけ議論の的になってきたのでしょうか。その最も大きな理由は、日本国憲法第九条にあるということは明らかです。憲法第九条の解釈と自衛権の行使の可否をめぐって、歴代の政府による答弁は様々な変遷をたどってきました。昭和二十一(1946)年、衆議院本会議において吉田茂元総理は次のように述べています。「新憲法第九条第二項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、交戦権も放棄した」つまり吉田茂元総理は、日本は個別的自衛権を含む一切の自衛権を放棄した、ということを明言しているのです。しかし、それからわずか四年後の昭和二十五(1950)年六月に朝鮮戦争が勃発します。当時、未だ独立を果たしていなかった日本の治安は米軍によって守られていました。しかし朝鮮戦争が勃発してしまったため、日本にいた米軍は朝鮮半島へ移動しました。そこで日本国内の警察力の不足を補うという名目で、警察予備隊が発足します。日本が独立を果たした後、警察予備隊は保安隊に改められ国防を任務とするようになります。吉田元総理は、昭和二十五(1950)年の参議院本会議において次のように述べました。「いやしくも国家である以上、独立を回復した以上は、自衛権はこれに伴って存するものであり、安全保障なく、自衛権がないかのごとき議論があるが、武力なしといえども自衛権はある」四年前の吉田元総理による答弁から一転して、自衛権の保持を認めるという趣旨の発言に変わっています。(吉田元総理にとっては、日本の独立こそが最大の目的であったことがうかがわれます。)また、当時の木村篤太郎法務総裁が、保安隊は「軍隊ではない」という趣旨の答弁を行っています。つまり、昭和二十一(1946)年からわずか四年の間に、政府による史上最大といってもよいほどの「憲法解釈の変更」が行われたのです。その後、自衛隊が発足した昭和二十九(1954)年に、政府は個別的自衛権と集団的自衛権を区別した上で、「個別的自衛権の行使は認めるが、集団的自衛権は行使できない」という解釈を出しています。その後、「個別的自衛権の行使として、自衛隊は在日米軍を守ることができる」とする解釈などを経ていきます。そして、昭和五十六(1981)年、鈴木善幸元内閣における政府答弁書では、次のような見解が出されています。「我が国が国際法上、集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと解している」この見解は、単に「個別的自衛権は行使できるが、集団的自衛権は行使できない」という趣旨とは異なり、「日本は、個別的自衛権も集団的自衛権も保有している。前者は行使できるが、後者は行使できない」という少々複雑な趣旨となっています。つまり、昭和五十六年の政府答弁書では、自衛権という権利を「保有」していることとそれを「行使」することとの間に区別を設けているのです。それによると、個別的自衛権は「保有しているし、行使もできる」権利であるのに対し、集団的自衛権は「保有しているが、行使はできない」権利であると述べられていることになります。従来の内閣法制局長官による答弁などは特に、「個別的自衛権の行使は認められる」「集団的自衛権の行使は認められない」といった技術的な趣旨のものが多く、「そもそも自衛権とはなにか?」といった根本的な議論に踏み込んできたようには思えません。個別的自衛権と集団的自衛権の明確な区別は非常に難しいというのが現実です。ある国は、自国の軍事行動を「個別的自衛権の行使」であると説明しようとするかもしれません。またある国は、テロ行為などに対する他国への反撃を「自衛権」とすら呼ばないかもしれません。自衛権を、個別的自衛権と集団的自衛権に区別する意義は確かにあると思います。しかし、それらをただ単に言葉の意味のみで硬直的に解釈するのではなく、「そもそも自衛権とはなにか?」といったより深い観点から解釈しなければ、有益な議論が出来ないのではないかと私は思います。平成二十六(2014)年七月、新たな政府見解としての閣議決定がなされました。いわゆる政府見解に対する「歯止め」の議論は、勿論必要であると思います。しかし、そもそも自衛権の議論が深まらないままに、「歯止め」の議論だけを行ってもそれは有意義であるとは思えません。限定的であっても自由に行動できる範囲があるからこそ、「歯止め」が必要になるのであって、その目的は自由に行動できる範囲を「適正化」することです。縄のようなものでがんじがらめに縛られて全く身動きができない人や自由に行動できない人に対しては、そもそも「歯止め」の議論は出てこないのです。あくまでも、「適正化のための歯止め」の議論が必要であるということです。また、「集団的自衛権の行使を限定的に容認する必要がなぜあるのか?」といった疑問や質問に対しては、政府は出来る限り丁寧に説明しつづけなければなりません。しかし、一方で政府は「お前は戦争をやるつもりなのか?」とか「軍国主義に戻るつもりなのか?」といった声に対しては、答える義務はありません。なぜなら、それらの声は「疑問」や「質問」ではないからです。人間は、自分がやったことに対して責任を問われることはあっても、自分がやっていないことについての責任を問われることはありません。お店の店員が、店頭に全く在庫がない品物を「今すぐ持って来い」などと客に言われても、それに応えることは不可能です。しかし、「今度いつ頃、品物が入荷しますか?」とか「この品物を仕入れておいてくれませんか?」といった”質問”や”要望”に対しては、在庫や発注の状況を調べるなどすることによって応えることができるかもしれません。集団的自衛権についても、政府が懇切丁寧に説明すれば日本人が理解できないわけがない、と私は思っています。日本人は賢い。日本人は必ず理解し、そして時に有益な批判をしてくれる。そう信じて、政府は国民に対し説明し続けなければならない。私はそう思います。